東京五輪では、近年のオリンピックにないほどに「アスリートのメンタルヘルス」に注目が集まったのではないか。その象徴的な存在が、アメリカ体操の「絶対女王」シモーネ・バイルズ選手の団体戦棄権表明だった。この棄権について、米国在住の精神科医・内田舞医師は「とても大きな意味がある」という。それはどういうことなのか。 米体操絶対女王シモーネ・バイルズ「メンタルヘルス棄権」の大きな意味」では、シモーネ選手が絶対女王としての重圧に加え、アメリカ体操業界を震撼させた性暴力問題で、シモーネ選手も被害者だったこと、それによってシモーネ選手が自殺を考えるほどに追い込まれていたことをお伝えした。後編では、さらに掘り下げ、動画の紹介と共にそのまま続けることが危険と思われた背景や、棄権の選択が重要だった理由を、内田舞医師の解説のもとにお伝えする。
人種問題、誹謗中傷、幼い頃から背負うものが多い

リオ五輪後も、さまざまな大きな体操競技会でゴールドメダルホルダーとして絶対の地位を気づいていたシモーネ選手。photo/Getty Images
アメリカ体操の「絶対女王」シモーネ・バイルズ選手。彼女が体操団体戦出場をメンタルヘルスを理由に棄権した背景には、絶対女王としての相当なる重圧や、体操業界での性暴力問題があった。 さらに、シモーネ選手には誹謗中傷も付きまとっていた。 「フィギュアスケートも体操も今では黒人の選手も珍しくありませんが、絶対数としてはやはり少ない。コーチも審判員も世界的にみれば圧倒的に白人の方が多い組織の中で活動しなくてはいけない。もちろん、多くの方は人種の垣根なく、公平な評価をしていると思うのですが、『黒人なのに』と言われることも過去には少なくなかったようです。 また、シモーネ選手は難度が高い技を行うために、タフに鍛え上げています。そのために腕も足もとてもパンプアップしています。すると、『あんな太い筋肉質な腕で……』『女らしいレオタードが似合わない』など、外見を含めて、心ない誹謗中傷がSNSで飛び交い、深く傷つき、落ち込むことも多かったのです」(内田医師) シモーネ選手が誹謗中傷を受け、それらを跳ねのけ東京五輪に向かう姿を化粧品ブランド(SK-II)がアニメーション動画にし、YouTubeで展開している。彼女がいかにつらい状況にあったかがよくわかる動画でもある。 「前にも長洲未来さんの記事の際にもお伝えしましたが、脳は、20代後半まで発達し続けます。長洲さんもシモーネ選手もオリンピックに出場するような神童と呼ばれる選手は、脳が発展途上の年齢で、競技を本格的に始めることになります。本来であれば、親など大人たちのケアが必要な年齢であるのに、スポーツができるというだけで大人扱いをされ、大人の対応が出来て当たり前、とみなされてしまう。そして、自己管理も求められるわけです。 長洲さんとシモーネ選手に共通しているのは、いくらでも援助が可能な裕福な家庭ではなかったという点です。いい成績を残さなければいい環境で競技を続けられなくなるので、心も体もギリギリの状態で頑張るわけです。しかも、そういった精神状態は試合の勝ち負けに影響する可能性があるため、多くの人に語ることもできない。耐えて頑張ることで乗り切ろうとしてしまうのです」 好きで始めたスポーツであっても、重い責任を背負わされる。しかも、逃げたくてもチャンプになればなるほど、「なぜここで逃げるのだ」といった重圧がかかる。 「シモーネ選手は今回の棄権で、あのまま演技を続けていたら、大怪我をするに違いない、と深い恐怖を感じたとも語っています。これは『ツイスティ』と言う状態で、心と体が一体化せず、動きが制御できない状況のことをいいます。本来であれば、着地をイメージしながら競技をするのに、そのイメージが持てず、体がどう動くか把握できなくなってしまう。あれだけ勢いよくジャンプや回転するのですから、制御できなければ大怪我どころか命にも影響します。 シモーネ選手が棄権後に『今、私の心と体は調和していません。これが試合で表に出てきてしまったらどんなに危険か気づいてない人もいると思います』と語ったのは、それだけ大きな恐怖を感じたからだと思います」(内田医師)
コロナ禍、選手たちは孤独な状態で戦っていた

チームメイトやコーチはいても、コロナ禍では万全なケアはやはり難しい。どの選手もいつもと違う状況下での試合になる。photo/Getty Images
しかし、トップアスリートのメンタル問題には厳しい声も多い。 実際、長洲未来さんのうつ病告白記事にも、 「メンタルトレーナーが見てくれるんじゃないの? 管理されていないの?」 「メンタルが弱いってことは、結局競技者として弱い」 というコメントもあった。 内田医師は、その部分への「やさしい理解」がもっと深まってほしいという。 「メンタルトレーナーのシステムはチームごとに異なります。多くのチームは専属でメンタルコーチを付けています。ただ、調べてみると、試合に勝つというモチベーション、集中力を保つためのメンタルコーチであるケースが多い。心が弱ったとき、うつ状態、落ち込んだ際にケアしてくれる『心理セラピスト』を選手が満足できる環境下で備えているチームはあまり多くないと感じています。 選手はそういった心にも対応してくれる心理セラピストを個々に探し、診てもらうしかない。でも、それは実費だったり……。練習を休んでその時間を確保するのが難しい選手も数多くいるのではないかと思います」(内田医師) シモーネ選手は、チームドクターの事件で落ち込み、独自にセラピーを受けていた経験があるという。でも、アメリカでは、今コロナ対策で対面のセラピーは受けられなくなっている。また、コロナ禍での五輪では、規制も多かった。 「通常であれば家族や恋人、セラピストなど自分の心の安定のために欠かせない人たちに同行してもらうことも可能です。でも、今回はオリンピックでの同伴人数も制限されています。さらに、感染予防のため、なかなかストレスを発散する場もありませんし、会場で選手を応援する観客もいません。また、昨年、コンディションのピークを合わせていた五輪が一年延期されてしまった際には、シモーネ選手も抑うつ気分になり、その後の気持ちの調整が難しかったと告白しています。 もちろん、感染拡大している中のオリンピックですから、さまざまな規制があることは仕方ないとは思いますが、参加する選手たちもいつもとは違うストレスや重圧を感じていたと思います」(内田医師)
うつと告白すること=我儘ではない

東京五輪では、3回戦ストレート負けで敗退した大坂なおみ選手。photo/Getty Images
また、シモーネ選手やアダム・ピーティ選手がメンタルヘルスについて告白する背景に、大坂なおみ選手の存在あった、と両選手は告白している。大坂選手の発信によって、スポーツ界でメンタルヘルスが語られるのはとても重要なことだと内田医師は話す。 「なぜか日本では大坂なおみさんについて批判的な意見が多いようですが、米国では評価する声もとても多いです。NIKEを始め彼女を起用する企業も、今までスポーツ選手がしなかった発言や行動を堂々と行う姿に賛同しています。 強いスポーツ選手というと、心も体も強靭であるべきと思う人が多いのかもしれませんが、彼らはひとつの技能に秀でたひとりの人間です。苦手なこともある。あるスポーツに強くても、あなたができることができない可能性もあります。 批判でよく言われる言葉ですが、水着で雑誌のカヴァーの撮影はできるのに試合後のメディア対応ができないことは我儘、という方がいます。でも、それは言い切れないのです。彼女にとっては雑誌のカヴァー撮影もスポンサーに対する大きな仕事のひとつです。楽しんでやっていてほしいと思いますが、彼女にとっては、『仕事』であり、好んでやっているわけでもないかもしれません。 さらに、うつ状態=ずっとふさぎ込んでいるわけではありません。笑顔でこなせることもあるし、楽しい場面もある。そして、どうしてもできないこともあります。仕事でもできることと、できないことがあります。つらいのであればそれを避け、できることを少しずつ増やしていく、それでいいのです。精神医学的に、大坂さんの行動でおかしな点はありません。 また、彼女がSNSでうつ症状について語った投稿の“bouts of depression”というフレーズを読んで、私は『うつ告白』とは受け止めませんでした。これは、落ち込んだ気分などを表す表現で、『うつ病』という診断名に訳した日本語訳に少し誤訳があるように感じています。もちろん、なんでもうつ病と言い、メンタルヘルスとして片付けていたとするなら賛同しませんが、彼女の行動を精神科医として観察して、そういったニュアンスは感じられません。 新しい問題提起をするとどうしても最初は批判が出ます。さらに、メンタルヘルスに関して、日本ではまだまだ偏見を持つ方が少なくないようです。 でも、シモーネ選手やアダム・ピーティ選手や大坂なおみ選手の現状を知って、『スポーツ選手もメンタルヘルスに悩むことがある普通の人間である』という現状をまずは知ってほしいと思うのです。 そういった理解の上に、彼らのスポーツ選手としての素晴らしい能力を称えたい。スポーツ選手に対して、減らない誹謗中傷を減らす解決のカギも、こういったことへの理解が必要ではないかと思うのです」(内田医師)
8/5 yahooニュースより抜粋










